ネパールインターン生の奮闘記

さまざなキッカケから、なぜかネパールに1年間インターン生として活動している「なお」「あかりん」「あまのっち」。わたしたちの葛藤と日々の挑戦。

Eberestbiu

【インタビュー】Atit Lamaさん 〜未来を切り拓く教育をネパールに〜

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堪能な日本語を武器に旅行会社でガイドや通訳として働くほか、教育事業や社会貢献活動にも精力的に取り組むアティットさん。コーヒープロジェクトではマネジメントから外部とのやり取り、現場での指揮まで行い、聞き手のあかりんとは毎日のように議論を交わしています。実は今コーヒーを植えている場所もアティットさんの畑です。

今回はそんなアティットさんに、今までの経験や活動に込める想いを伺いました。

「教育が大事」そう言ってくれる両親のもとに生まれた運命

ーーまず、アティットさんの生まれ育った環境について教えてください。

(Atit)私は5人兄弟の末っ子としてチュカという標高1000mほどの村に生まれました。

当時、村にはガス、水道、電気、車の走れる道などは何も通っていませんでした。

靴もなく、学校までは山道を歩かなくてはいけないので、4歳の私はひとりであるききることができず、お兄さんに手を引かれて通ったのを覚えています。

ーー村にはその頃から学校があったのですか。

学校と言っても校舎があるわけではなく、大きな木に黒板が掲げられているだけでした。雨の日は授業にならないし、日差しの強い日は炎天下の教室です。もちろん勉強するためのノートや鉛筆もありません。

10歳になると、家から少し離れたブメという村の教育が良いと聞いて、中学校に通うことにしました。しかしそこも校舎はなく、雨の日は蒸し暑いテントに何十人も一緒に授業を受けたりしました。休み時間には石を運んで校舎の建設を手伝っていました。

今考えるととても勉強できる環境ではありません。

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右から2番目がアティットさん

ーー小さいときから学校に通っていたんですね。村では一般的なことですか。

(Atit) 小学校1年生で入学したときには自分の周りの人達も学校に通っていましたが、卒業するときには、私と兄しかいませんでした。

村では10歳くらいになると立派な労働力となります。家では学校に行くより家の手伝いをしなさいと言われ、家の手伝いをしたら宿題をする時間がなくて、学校に行ったら宿題をなんでしていないのかと怒られる。そしたら学校にはいきたくなくなりますよね。

気がついたらまわりの友達はレンガ工場で働いていました。

 

私の両親は特に教育を受けた人たちではなかったけど、私達には「教育が一番大事」と言ってくれ、学校に行かせてくれました。

土地も多くあったので、お腹をすかせるほど生活に困ってもいなかったからかもしれません。

 首都カトマンズに出て知った「何も知らない自分」

ーー現在、社会問題に対して活動をしているアティットさんですが、いつ頃から社会問題に興味を持つようになったのですか?

(Atit)村にいた頃はNGONPOのことなんて何も知りませんでした。大学進学のためにネパールの首都カトマンズに出てきたのが16歳です。そのタイミングでfacebookのアカウントを作ったら、今まで知らなかった情報に出会いました。

社会にはたくさんの問題があるということもそのときに知ったし、社会問題について活動している人や団体についても知りました。そこから気になった人や団体には、すぐ連絡を取り、会いに行っていました。

また、大学在学中に銀行で保険の営業の仕事をしていました。営業で多くの人と出会い、話をしたことも私の視野を広げてくれた大きな経験です。

 

ーー社会問題の中でもどんなことに取り組んでいたのですか。

(Atit)社会問題を知る中で最初に関心を持ったのが、環境問題についてです。都市部や先進国による環境破壊や気候変動等があること、それによって異常現象を引き起こしていることを知りました。

 そしてそのような環境破壊の被害を被るのは、自然と一番近い生活をしている農村地域だということを知りました。それなのに、村にいる人はそういった事態を何も知りません。私も知らなかったし、学校でもそのようなことを教える教育はしていませんでした。

そこで学校の横に公共の図書館を作ろうとしました。他にも、Climate change Nepalという環境問題に取り組む団体つくったり、Yes NepalというNGO団体で学校の横に図書館を建設したりできることは何でもしてみました。

 また、子どもたち全員に教育を受けさせたいという思いがあったので、銀行の仕事の中でも教育に対する保険の提案をしていました。休日に保険の意義を説明して回っていました。

ーー本当にたくさんのことに取り組んでいらっしゃったんですね。

 1年間の日本留学

ーー1年間日本での留学経験があるそうですが、どうして日本に興味を持つようになったのですか。

(Atit)中学生位になることから、自分の村と近くの村に日本のNGO団体が学校建設の支援をしてくれました。村に来る日本人は私の家にホームステイしていたので日本に親しみがあり、日本語を勉強したいとその頃から思うようになりました。

ネパールで少し日本語を勉強した後、2013年の10月に日本へいきました。

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日本留学中の電車内にて

ーー日本に実際行ってみてどんな印象を受けましたか。

(Atit)日本ではじめての電車、飛行機、モノレールに乗りました。どれも鮮明に覚えています。日本は想像していたよりもきれいで発展しているというのが第一印象です。

その中でも印象的だったのが日本人の頑張っている姿です。私はネパールで真面目に働いていましたが、日本で最終電車で吊革につかまりながら、居眠りしている人や、「1日36時間ほしい」と言っている日本人をみているともっと頑張れると思うようになりました。

時間にルーズなネパールが、日本のように発展するためにはもっと頑張らなくてはいけないし、伸びしろも十分にあるなと感じました。日本人は頑張り過ぎだと思いますけどね笑

ネパールのリーダーとしての今

ー日本から戻ってからはどんな活動をしていたのですか。

(Atit)ネパールに戻ってからは自分の土地もあるし、農業関係のことをしようと思っていました。せっかくやるなら、環境問題について調べていた頃から関心のあった、オーガニックの農産物を作りたいと思っていました。

当時はネパールでオーガニックの農産物と言ったら、コーヒーが主流だったのでこれにしようと思い、Bholung Organic farmを立ち上げました。

私自身は、カトマンズに仕事があるので、現場にずっといることはできないけれど、プロジェクトとして村の人達と一緒にやれば、村の人達の仕事になる。良い循環が生まれるかもしれないと思い、2016年に1500本のコーヒーを植えました。

うまくいかずに枯れてしまったものもありますが、今は日本の企業とも協力して大きなプロジェクトになっています。

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村人と一緒にコーヒーの苗を運ぶアティットさん

 ーーコーヒープロジェクトのゴールはどんなことを目指しているのですか。

村の現状は私が村にいたときとは違い、学校がなくて通えないわけではなく、中退してしまう人のほとんどは経済的な理由です。

学生の考え方も家族の考え方もそれぞれで、字が書けるようになればもう学校に行く必要はない、家の手伝いの方が大事と考える人もいます。

でも私は子どもたちが学校に行ける状態を作りたい。そのためには両親に仕事がなくてはいけません。コーヒープロジェクトの目的の一つとして雇用の創出があります。

それが実現したら、奨学金のような仕組みを作りたい。子どもたちが仕事をしなくても良いように。学校に通えるようにしたいです。まずは私の村から初めて、他の村でも実践できるような未来を作りたいです。


一人でも多くの人が外で何かを学んでほしい。

 ーーコーヒープロジェクトの他にはどんなことに取り組んでいますか。

(Atit)Shine education servicesという日本語学校の経営をしています。ネパールで日本語を教え、日本に技能実習生としてネパール人を送る取り組みです。

私は村を出るまで何も知りませんでした。カトマンズに出てネパールのことを知るようになり、日本にわたって、実際に自分の目で発展している国と、そこに住む人の様子を見ました。

多くのことを知り、多くの人に出会い、多くの経験をして今の自分があります。
日本語学校を経営しているのも、一人でも多くの人に日本に行ってなにか学んでほしいという思いからです。そして、日本で学んだことをネパールに還元してほしい。

実際に自分の目で見るのは聞くだけの情報と違います。

家族の一人が日本に行って送金してくれると村の家族も豊かに過ごすことができるというのも事実です。出稼ぎに行く国は他にもありますが、きつい肉体労働をしなくてはいけない国が多いです。他の国に行くよりは日本のほうが安全だと思うのです。

今はビジネスとしてやっている日本語学校の経営ですが、いずれはソーシャルビジネスにしたいと思っています。他の人も嬉しいビジネスをしていきたいと思います。

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shine日本語学校の先生と生徒たち

ーー最後にこれからの目標や想いを聞かせてください。

(Atit)コーヒープロジェクトを通して子どもたちに教育を届けるということも、

日本語を教えるということも、未来に繋がっています。教育を受けることはその人の人生の選択肢を増やすこと、未来を切り拓くことだと思っています。

そう信じてこれからも頑張っていきます。

 

ーーアティットさん貴重なお話をありがとうございました。
今回このインタビューを通して改めてアティットさんの想いを聞くことができ、コーヒープロジェクトにかける熱量もより一層熱くなりました。

最後までこの記事を読んでくださった皆様、これからもどうぞ応援よろしくお願いいたします。そして熱い想いを胸に奮闘し続けるアティットさんに会いに是非ネパールに足を運んでみてください。

 

                            (聞き手・編集:福本朱理)