フットサル交流 第2回大阪にて開催!
ナマステーー。
あまのっちです。
一番下に頑張って作った動画あるので是非見て下さい!!泣
編集に3時間くらいかかったよぉぉぉぉぉ泣
この前フットサル交流会第2回を大阪で開催しました!
(めっちゃ大人数だぁぁぁぁ。わーーい)
今回はかなりの大人数!
ネパール人を始め、韓国人、インドネシア人と日本の高校生5人も参加してくれました!
こうして沢山の人数で
スポーツを通して繋がれるのは嬉しいですね。
そして今回からなんと
ミラーレス一眼が登場し、より高画質で写真をお届けしてまっす!
(天野がミラーレスを買っただけ。。笑)
(手前インドネシア・手前から2,3人目がネパールの方)
そして、今回の交流会のベストショットはこれ!
(我々が誇る美人5人衆!!!)
一人だけネパールの方がいます。
どの人だと思います??
ネパール人と日本人って結構、顔が似てますよね。
僕も始めてネパールに行った時に、ネパール人に間違われたことがありました。
正解は!!!!
ど、ど、どん!
一番右下の眼鏡をかけた彼女です!!
いやー服装も相まって、まるで日本人ですね:)
そして今回お試しでこんな紹介動画も作ったので、
是非見てみて下さい:)
ではではナマステ!
【インタビュー】Atit Lamaさん 〜未来を切り拓く教育をネパールに〜
堪能な日本語を武器に旅行会社でガイドや通訳として働くほか、教育事業や社会貢献活動にも精力的に取り組むアティットさん。コーヒープロジェクトではマネジメントから外部とのやり取り、現場での指揮まで行い、聞き手のあかりんとは毎日のように議論を交わしています。実は今コーヒーを植えている場所もアティットさんの畑です。
今回はそんなアティットさんに、今までの経験や活動に込める想いを伺いました。
「教育が大事」そう言ってくれる両親のもとに生まれた運命
ーーまず、アティットさんの生まれ育った環境について教えてください。
(Atit)私は5人兄弟の末っ子としてチュカという標高1000mほどの村に生まれました。
当時、村にはガス、水道、電気、車の走れる道などは何も通っていませんでした。
靴もなく、学校までは山道を歩かなくてはいけないので、4歳の私はひとりであるききることができず、お兄さんに手を引かれて通ったのを覚えています。
ーー村にはその頃から学校があったのですか。
学校と言っても校舎があるわけではなく、大きな木に黒板が掲げられているだけでした。雨の日は授業にならないし、日差しの強い日は炎天下の教室です。もちろん勉強するためのノートや鉛筆もありません。
10歳になると、家から少し離れたブメという村の教育が良いと聞いて、中学校に通うことにしました。しかしそこも校舎はなく、雨の日は蒸し暑いテントに何十人も一緒に授業を受けたりしました。休み時間には石を運んで校舎の建設を手伝っていました。
今考えるととても勉強できる環境ではありません。
ーー小さいときから学校に通っていたんですね。村では一般的なことですか。
(Atit) 小学校1年生で入学したときには自分の周りの人達も学校に通っていましたが、卒業するときには、私と兄しかいませんでした。
村では10歳くらいになると立派な労働力となります。家では学校に行くより家の手伝いをしなさいと言われ、家の手伝いをしたら宿題をする時間がなくて、学校に行ったら宿題をなんでしていないのかと怒られる。そしたら学校にはいきたくなくなりますよね。
気がついたらまわりの友達はレンガ工場で働いていました。
私の両親は特に教育を受けた人たちではなかったけど、私達には「教育が一番大事」と言ってくれ、学校に行かせてくれました。
土地も多くあったので、お腹をすかせるほど生活に困ってもいなかったからかもしれません。
首都カトマンズに出て知った「何も知らない自分」
ーー現在、社会問題に対して活動をしているアティットさんですが、いつ頃から社会問題に興味を持つようになったのですか?
(Atit)村にいた頃はNGOやNPOのことなんて何も知りませんでした。大学進学のためにネパールの首都カトマンズに出てきたのが16歳です。そのタイミングでfacebookのアカウントを作ったら、今まで知らなかった情報に出会いました。
社会にはたくさんの問題があるということもそのときに知ったし、社会問題について活動している人や団体についても知りました。そこから気になった人や団体には、すぐ連絡を取り、会いに行っていました。
また、大学在学中に銀行で保険の営業の仕事をしていました。営業で多くの人と出会い、話をしたことも私の視野を広げてくれた大きな経験です。
ーー社会問題の中でもどんなことに取り組んでいたのですか。
(Atit)社会問題を知る中で最初に関心を持ったのが、環境問題についてです。都市部や先進国による環境破壊や気候変動等があること、それによって異常現象を引き起こしていることを知りました。
そしてそのような環境破壊の被害を被るのは、自然と一番近い生活をしている農村地域だということを知りました。それなのに、村にいる人はそういった事態を何も知りません。私も知らなかったし、学校でもそのようなことを教える教育はしていませんでした。
そこで学校の横に公共の図書館を作ろうとしました。他にも、Climate change Nepalという環境問題に取り組む団体つくったり、Yes NepalというNGO団体で学校の横に図書館を建設したりできることは何でもしてみました。
また、子どもたち全員に教育を受けさせたいという思いがあったので、銀行の仕事の中でも教育に対する保険の提案をしていました。休日に保険の意義を説明して回っていました。
ーー本当にたくさんのことに取り組んでいらっしゃったんですね。
1年間の日本留学
ーー1年間日本での留学経験があるそうですが、どうして日本に興味を持つようになったのですか。
(Atit)中学生位になることから、自分の村と近くの村に日本のNGO団体が学校建設の支援をしてくれました。村に来る日本人は私の家にホームステイしていたので日本に親しみがあり、日本語を勉強したいとその頃から思うようになりました。
ネパールで少し日本語を勉強した後、2013年の10月に日本へいきました。
ーー日本に実際行ってみてどんな印象を受けましたか。
(Atit)日本ではじめての電車、飛行機、モノレールに乗りました。どれも鮮明に覚えています。日本は想像していたよりもきれいで発展しているというのが第一印象です。
その中でも印象的だったのが日本人の頑張っている姿です。私はネパールで真面目に働いていましたが、日本で最終電車で吊革につかまりながら、居眠りしている人や、「1日36時間ほしい」と言っている日本人をみているともっと頑張れると思うようになりました。
時間にルーズなネパールが、日本のように発展するためにはもっと頑張らなくてはいけないし、伸びしろも十分にあるなと感じました。日本人は頑張り過ぎだと思いますけどね笑
ネパールのリーダーとしての今
ー日本から戻ってからはどんな活動をしていたのですか。
(Atit)ネパールに戻ってからは自分の土地もあるし、農業関係のことをしようと思っていました。せっかくやるなら、環境問題について調べていた頃から関心のあった、オーガニックの農産物を作りたいと思っていました。
当時はネパールでオーガニックの農産物と言ったら、コーヒーが主流だったのでこれにしようと思い、Bholung Organic farmを立ち上げました。
私自身は、カトマンズに仕事があるので、現場にずっといることはできないけれど、プロジェクトとして村の人達と一緒にやれば、村の人達の仕事になる。良い循環が生まれるかもしれないと思い、2016年に1500本のコーヒーを植えました。
うまくいかずに枯れてしまったものもありますが、今は日本の企業とも協力して大きなプロジェクトになっています。
ーーコーヒープロジェクトのゴールはどんなことを目指しているのですか。
村の現状は私が村にいたときとは違い、学校がなくて通えないわけではなく、中退してしまう人のほとんどは経済的な理由です。
学生の考え方も家族の考え方もそれぞれで、字が書けるようになればもう学校に行く必要はない、家の手伝いの方が大事と考える人もいます。
でも私は子どもたちが学校に行ける状態を作りたい。そのためには両親に仕事がなくてはいけません。コーヒープロジェクトの目的の一つとして雇用の創出があります。
それが実現したら、奨学金のような仕組みを作りたい。子どもたちが仕事をしなくても良いように。学校に通えるようにしたいです。まずは私の村から初めて、他の村でも実践できるような未来を作りたいです。
一人でも多くの人が外で何かを学んでほしい。
ーーコーヒープロジェクトの他にはどんなことに取り組んでいますか。
(Atit)Shine education servicesという日本語学校の経営をしています。ネパールで日本語を教え、日本に技能実習生としてネパール人を送る取り組みです。
私は村を出るまで何も知りませんでした。カトマンズに出てネパールのことを知るようになり、日本にわたって、実際に自分の目で発展している国と、そこに住む人の様子を見ました。
多くのことを知り、多くの人に出会い、多くの経験をして今の自分があります。
日本語学校を経営しているのも、一人でも多くの人に日本に行ってなにか学んでほしいという思いからです。そして、日本で学んだことをネパールに還元してほしい。
実際に自分の目で見るのは聞くだけの情報と違います。
家族の一人が日本に行って送金してくれると村の家族も豊かに過ごすことができるというのも事実です。出稼ぎに行く国は他にもありますが、きつい肉体労働をしなくてはいけない国が多いです。他の国に行くよりは日本のほうが安全だと思うのです。
今はビジネスとしてやっている日本語学校の経営ですが、いずれはソーシャルビジネスにしたいと思っています。他の人も嬉しいビジネスをしていきたいと思います。
ーー最後にこれからの目標や想いを聞かせてください。
(Atit)コーヒープロジェクトを通して子どもたちに教育を届けるということも、
日本語を教えるということも、未来に繋がっています。教育を受けることはその人の人生の選択肢を増やすこと、未来を切り拓くことだと思っています。
そう信じてこれからも頑張っていきます。
ーーアティットさん貴重なお話をありがとうございました。
今回このインタビューを通して改めてアティットさんの想いを聞くことができ、コーヒープロジェクトにかける熱量もより一層熱くなりました。
最後までこの記事を読んでくださった皆様、これからもどうぞ応援よろしくお願いいたします。そして熱い想いを胸に奮闘し続けるアティットさんに会いに是非ネパールに足を運んでみてください。
(聞き手・編集:福本朱理)
フィリピンなう 日本語コミュニティ作ろう
ナマステ!あまのっちです。
今、僕はフィリピンにいます。
その目的は!
以前、フィリピン留学していた時に参加していた
日本語コミュニティに参加するため!
セブ島でフィリピン人と日本人を集めて、
英語で日本語を学ぶコミュニティです。
(今回のトピックは日本語発音について:モーラ)
1年以上続くコミュニティは今や100人程度が参加することも。。
いい感じで進んでいた矢先、
フィリピンの南国パワーで大雨が。。。
(スコール!っていうかこの写真好き。)
まぁこういうこともありますね。
この日本語コミュニティを
日本に持って帰ることが今回のフィリピン渡航の目的です。
日本人とネパール人をもっと繋げたい!
日本に8万人もいるネパール人をもっと知ってほしい!
そんなコミュニティが作れたらいいな。
いや、作ろう。
ネパール人がネパールについて教え、
日本人が日本のことについて教える。
そんなコミュニティを作ります。
わくわくが止まりませんね。
あれ、僕だけ?笑
斜めから撮る集合写真もいいね!
サッカー大会開催しました in 大阪
(集合写真 楽しかったなぁーーー。)
先日、福祉施設で働くネパール人二名と日本人で
サッカー大会を開催しました!
今回で二回目の開催ですが、ネパールの人達がサッカー上手!
(臨場感たっぷり。)
(楽しかったなぁーー×2)
ネパールの方2人とも習ったことはないと言ってましたが、
日本人の誰よりも上手いという。。笑
高校卒業してずっと運動していない僕は、
すぐに息切れ。。
ずっと大きな声だけ出してました。笑
運動って大事だなぁ。。。
地域で働く外国人ってかなりの数いるはずなのに、
こうして交わる機会ってかなり少ないですよねーー。
なにか働く外国人と日本人を結ぶ機会を創出していきたいと思いました。
まずちょっと軽いランニングを毎日しようかと思います。。。。
と、いうことで今日はここまで。ナマステ!
コーヒープロジェクト最前線③ 〜誰の為にコーヒーを植えるのか〜
ナマステ!あかりんです。
コーヒー畑での穴掘りを終え、カトマンズまでの帰り道。
「私は誰のためにこのプロジェクトに熱を注いでいるんだっけ」と考えた。
農業はよく3Kと言われる。
「きつい」「汚い」「危険」
日本では、スマート農業、植物工場、農業女子プロジェクト・・・・
クリーンでスマートな農業の取り組みも多いけれど、
少なくとも今のネパールの農業は
きついし汚いし危険。
この畑で採れたコーヒーを飲んだ人には、
この苦労と尊さが伝わるだろうか。
毎日炎天下の中斜面の草を刈り、
穴をほっているウッタルさんの姿が浮かぶだろうか。
きっと、そこまで思いを馳せるのは限られたメンバーだと思う。
伝わらないことが悪いのではなくて、
現実としてこんなにも見えないんだということを実感した。
このコーヒーに限ったことではなく、
農産物が並ぶ食卓から農業の現場はあまりにも遠い。
でも、私は今現場にいるからこそ、
伝えられることがある。
伝えたいと思うことがある。
伝えなくてはいけないと思うことがある。
ネパールで聞いて忘れられなかった言葉。
「私みたいな農家にならないように、しっかり勉強しなさい」
息子を愛し、息子の未来を想うがゆえに発されたこの言葉だと思う。
事実、自給自足の生活をする農村部において
「農業をしている」ということは「職に就いていない」という意味であったりもする。
でも、
農業ってそんなに貧しい仕事なのか。
農業を生業にする人は能力の低い人なのか。
アジアで最も開発が難しいと言われるネパールでも
農業を生業として誇り高く生きている人はたくさんいる。
このコーヒープロジェクトにおいて。
また、私の中で。
プロジェクトの最前線である畑で働く農家はとっても尊い存在で。
そのことを、
もっと伝えられる気がして。
証明できる気がして。
「私は誰の為にコーヒーを植えるのか」
真っ先に思い浮かぶのは
毎日畑で汗を流しているウッタルさんの姿。
もしかしたらこれが私が人生かけてやりたいことなのかもしれない。
・・・えも〜〜〜〜い!(・∀・)
コーヒープロジェクト最前線② 〜ウッタルさんとの出会い〜
ナマステ!あかりんです。
コーヒープロジェクトの最前線!コーヒー畑で出会ったウッタルさん。
コーヒー畑に通った2週間。ウッタルさんの人柄に感動しっぱなしでした。
そんな心から尊敬するウッタルさんについて紹介します!
★ウッタルさんの尊敬ポイント★
- めちゃくちゃ真面目!
とっても仕事が丁寧で誰よりも働き者!まわりが休憩していても黙々と一番大変な仕事をしている! - 村人から愛されている!
言葉通り、老若男女誰とでも - 何でもできる!
農作業はもちろん、家畜の世話からカマ研ぎまで何でもできる!
そしてなんと言ってもウッタルさんの料理がめちゃくちゃ美味しい!!!ほんっとうに美味しい!!! - 計り知れない体力!
休憩でタバコ1本吸えば基本体力回復してる。笑
尊敬の気持ち伝わったかな・・・笑
とにかく本当に働き者でみんな思いの素敵な方なんです!
立ち上げ段階の今はプロジェクトの中でも一番大変なとき(これ以上に大変なことはないと信じている笑)。
体力的に大変な作業も多い。
一緒に働いた人の中には、1日来たけど、次の日はもうこない人も何人もいました。
決してその人達が悪いとかのではなく、そのくらい大変で、まだ地域にプロジェクトが浸透していないということ。
そんな状況の中で、私が畑に通った2週間毎日ウッタルさんは来てくださいました。
(正直、ウッタルさんがこなかったら、私も休もうと思っていた笑)
私を「アガ(現地語で妹ちゃんの意味)」とよんでくれるウッタルさん。
畑について作業を始めると、
「こっちのほうが足場が良いからアガはこっちの草を刈りな」
「アガはもうちょっと休んでていいよ」
「アガ手切りそうだからゆっくり刈るんだよ」
と、ずっと気遣ってくれる。
たまたまウッタルさんと二人だった畑からの帰り道。
「アガはいつカトマンズに帰るんだ?」
「明日帰ります。」
「次はいつ来るんだ?」
「すぐ来ます。」
「すぐっていつ?苗を植えるときには来るか?」
「多分行きます」
「そうか。」
そんな何気ない会話。
畑の横の道を通る村人に
「ここがコーヒーの畑になるんだ」
と話すウッタルさんの姿。
多くを話したわけではないけれど、
ウッタルさんもこのプロジェクトに想いを持ってくれているのだろうと
感じたことが
嬉しくて、嬉しくて、ありがたくて。
ウッタルさんに出会って、
もしかすると、
4年後ここから取れたコーヒーを飲めるかもしれない。
草を刈っている今日からは、とっても遠くて夢のような話だけど。
でも。
現場で一生懸命働いてくれる人がいると知ったから。
ウッタルさんの仕事に対する姿勢を見たから。
草刈りをする今日の先には、
遠くても確かにそんな未来がある気がして。
なんとしてもその夢から覚めないように畑に通う。
そして何より、現場で一生懸命働いてくれている人がいる以上、
絶対に成功させなきゃいけない。
幸せになってもらわないといけない。
そんな想いが自分の中でしっかりとした軸になりました。
コーヒープロジェクト最前線① 〜畑1年目の厳しい現実〜
ナマステ!あかりんです!
雨季が始まるこの時期はコーヒーを植える大切な時期。
コーヒープロジェクトの事業計画や組織体制は整ってきたものの、
まだまだ現場は動き出しの段階。
プロジェクトに関わる以上は
現場をしっかり自分で知っておきたい。
そこで!コーヒーの木を植える前段階の穴掘りをしにコーヒー畑まで行ってきました!
カトマンズからバスで4時間。
そこから山道を登ること1時間ちょっと。
そしてアティットダイの家から畑まで山を下ること約1時間。
この道がなんとも険しい。。。
苔の生えた岩は滑るし
雨上がりの赤土も滑るし
斜面は急だし。
村人たちはここをサンダルでヒョコヒョコ歩けるけど
私は一歩一歩足場を探しながら歩く。
「あかりはここ滑っちゃうからね〜」
と言いながら岩肌を削って階段にしてくれるアティットダイ。(ありがとう・・・泣)
そんなこんなで
畑につくと・・・
そこには豊かな森がありました。(もはや畑ではない苦笑)
この森をコーヒー畑にするため草を刈り、土を耕します!!!
兎にも角にも手を動かさないことには始まらないので
集まったメンバーでで草刈り開始。
大体の作業内容は
①草を刈る
②トゲのある草を燃やす
③刈り取った草を運ぶ
④石をどける
⑤穴を掘る
簡単に言うと農地整備なのですが、
農地は斜面だし、数年間使用していなかったので草と木がボーボー!
そのため結構な重労働。。。
機械はないし、あったとしても石が多くて使えないので全部手作業。
耕す農地面積は約1ha。
かかった期間は約2週間。
毎朝7時には家を出て帰るのは19時過ぎ。
家について夕食を済ませると翌日の朝まで爆睡。
最初の2日は家から畑の往復で全身筋肉痛(゚∀゚)。
3日目から草を持つ手が荒れ指紋が消えた(゚∀゚)。
5日目からはしゃがむ体制がきつくて腰が痛い(゚∀゚)。
7日目を過ぎてからは虫に刺されすぎて全身かゆく眠れない(゚∀゚)。
10日目には鎌を持つ手に豆ができ、つぶれ、痛い(゚∀゚)。
13日目には鎌を持つ手から握力が消え去った(゚∀゚)。
・・・正直楽な毎日ではなく。
体力的には結構つらかった・・・。
それでも!今まで現場が動かないもどかしさを抱えていたので、
着実に前に進んでいる毎日がとてもうれしくて✨
一緒に働いてくれる人がいることが嬉しくて✨✨
そして一番大きかったのは現場で働く人たちとの出会い。
次回記事で運命の出会い(?)を果たし、この人のために生きたいと思った笑
そんなウッタルさんを紹介します!