ネパールインターン生の奮闘記

さまざなキッカケから、なぜかネパールに1年間インターン生として活動している「なお」「あかりん」「あまのっち」。わたしたちの葛藤と日々の挑戦。

Eberestbiu

【インタビュー】Mina Lamaさん 〜村のお母さんからネパールを変える〜

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 女性起業家としていくつもの活動を手がけるミナさん。

のどかなラムチェ村に生まれ、女性だからこそできる挑戦で確かにネパールという国を変えつつあるミナさん。活動に対する想いや原体験を伺いました。

この記事を書いた人

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福本朱理(あかりん):

東京農業大学 21歳
e-Educationネパールフィールドワークでネパールに初めて渡航
1年間e-Education国内インターンとして活動
現在はIncentive Group of Company農業担当としてインターン

わたしたちの紹介 - ネパールインターン生の奮闘記

Mina Lama(ミナ ラマ)さんプロフィール 

カトマンズから約4時間のラムチェ村に生まれる。村の課題を解決するため女性自立支援プログラム、パンチャカンネ(ネパール語で5人の女の子を意味する)を実施。ラムチェ村での成功を皮切りにネパールで注目され、ネパールの多くの地域で女性自立支援活動の指導に携わる。女性自立支援奨励賞事業受賞。現在は2015年のネパール大地震によって生きる目標を失った女性に雇用を生み出すためのフェルト工場を経営。Shine 日本語学校共同経営。銀杏旅館経営。

男の子に生まれたら良かったのに

ナマステ!
まずはミナさんの幼少期について教えてください。

5人兄弟の一番上に生まれた私は小さい頃は弟や妹の世話ばかりしていました。 そのせいで学校に行くのもまわりの友達よりも遅かったです。

学校に初めて行ったのは弟が学校に通う年になった時でした。
両親は、私が学校に行くためではなく、弟を学校に連れて行くために私も学校に行かせるという考え方でした。

学校に行くことは重要でないと考えられていたんですか?

ネパールの村では、「男の子は自分たち家族を支えていく存在になるから仕事をもらえるように学校に行ったほうがいい。
でも女の子はどうせお嫁に行くから家の仕事ができれば勉強しなくてもいい」という考え方が多かったです。

ミナさんも女の子だから教育を受ける必要はないと?

母からはそう言われましたが、「お嫁に言った先の将来がどうなるのかも分からないのに、今は家の手伝いをしているだけで本当に良いのか」といつも不安でした。

なんで女の子に生まれたんだろう。私も男の子に生まれたら良かったのに。と、何度も思いました。

家族に反対されても学校に行っていたんですか?

毎日行けたわけではないですが、学校の先生は勉強しなさいと言っていたし必要なことだと思っていたのでなるべく通学していました。

でも実はこの時期が一番つらくて、「学校に行くから家の手伝いをしないんだ」とお母さんに怒られるので 朝3時におきて、やるべき仕事はすべて学校に行く前までに終わらせていました。朝まだ暗いなか、川底の土砂を拾ってかごに集めて村まで背負って運んでは少しのお金にしていました。

本当にこの時は精神的にも体力的にも毎日大変でした。この経験はどれだけ話してもきっと伝わらないと思います。

お母さんから村を変える。

家族に理解してもらえないというのは相当つらかったですよね。

昔は「なんでわかってくれないんだろう」と何度も思いました。でも今ならその人達の気持ちがわかります。

人は経験したことからしか人に教えることができないからお母さんもどうして良いのかわからなかったんだと思いますね。

ミナさんの考えを理解してくれなかった「お母さん」という存在。それでもお母さんをに対する自立支援の活動をしたのはどうしてですか?

自分が学校の先生とお母さんの考え方に挟まれて悩んでいるときに、やっぱり大事なのはお母さんだと思ったんです。

子供にとって一番長い時間一緒にいるのはお母さんだし、毎日食べるご飯を作ってくれるのもお母さんです。いくら学校の先生が味方でも、「お手伝いしないから今日のご飯は無し」ってお母さんに言われてしまったら、子供はどうすることもできないんです。

だから村の問題を解決したいと思ったときにお母さんが変わる必要があると思いました。

学校の先生とともに

ミナさん自身の経験が原点になっているんですね。活動を始める時は大変でしたか?

私はその当時15歳でした。ひとりで村のお母さんに話に行きましたが誰もきいてくれませんでした。
逆に「この子はおかしなことをしている」と言われてしまいました。

どうしたらいいかわからなくなって学校の先生に相談したら「あなたはいいことをしているから協力する」と言ってくれました。

学校の先生が協力してくれたんですね。

学校が休みの日に先生が村を回ってお母さんたちを大きな木の下に集めてくださいました。

自己紹介から始まって、「今まで言っていないけれど困っていることを話しましょう。」「みんなで共有して助け合って解決する方法を探しましょう」と私が呼びかけました。

そうすると、今まで家族だけで抱えて解決できなかった問題が、村の人みんなで協力して解決に向かうようになりました。

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村を変えるからネパールを変えるへ。

このラムチェ村での活動が成功したと感じられたのはどんなときですか。

先生が3回ほど来てくれたら私だけでも村の人が集まってくれるようになりました。
さらにこの活動が浸透してくると、「私がみんなを集めるよ」と言ってくれるお母さんたちが現れて、私がいなくても集会を開いて村の問題を解決するようになったんです。

このことが村を越えて県の人たちに広まり、県からお金をいただけたり、他の地域でも実践したいというお話をいただけたときには嬉しかったし、うまくいったなと思いました。

 挑戦はいつも不安。だからこそ。

多くの人のためにやることは多くの人を巻き込むことになると思いますが、不安やプレッシャーはないですか?

プロジェクトが軌道に乗るまではいつもドキドキして不安はいっぱいあります。
自分のためではなく、一緒にやる他の人のためと考えているのでプレッシャーも大きいです。

一緒にやる人の気持ちを理解しようと努めても、うまくいかなくて途中でやめてしまう人もいます。信頼関係が出来上がるまでは毎回苦労していますね。

これだけたくさんのことを挑戦しているミナさんでも不安はあるんですね。

毎回大変なことはたくさんあって諦めたいときもあるけれど、簡単に成功することなんて一つもないと私は自分の経験から思っています。

だからこそ、これから挑戦する人たちがいたら、私にできることならなんでも協力したいと思っています。

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最後にこれからミナさんのように挑戦しようと思う人にメッセージをお願いします。

今はネパールでも多くの人が教育を受けられるようになってきました。

大きくなったら海外に出稼ぎに行ってお金を稼いでくる人もたくさんいます。でもその中から自分の生まれた地域のことや家族のことに目を向ける人がもっといたら良いなと思います。

出稼ぎでお金を稼いで今の生活を楽にすることはできるけれど、もっと先の未来を良くしたいと思う人が増えたら嬉しいですね。

ミナさんのこれからの活躍を願っています。
ミナさんのお話を聞いてとても勇気と刺激をいただきました。
インタビューに答えてくださりありがとうございました。

編集後記

このインタビューにあたってミナさんの村に訪問させていただきました。

印象的だったのはやはり、お母さんたちの覇気。どの村でもお母さんは誰よりも早く起きて、とても働き者ですが、ラムチェ村のお母さんたちの生き生きとした表情、きちんと手入れされた村の様子はミナさんの女性自立支援プログラムの結果ではないかと感じました。

何度も自分の生き方に悩んだというミナさん。
いくつものプロジェクトを成功させ、確かにネパールという国を変えていながらも、
「新しいことを始めるのは不安はある」という素直な言葉に勇気ももらいました。

これからもネパールの女性リーダーとしての活躍を楽しみにしています。

ありがとうございました!