ネパールインターン生の奮闘記

さまざなキッカケから、なぜかネパールに1年間インターン生として活動している「なお」「あかりん」「あまのっち」。わたしたちの葛藤と日々の挑戦。

Eberestbiu

帰ります!

この記事を書いた人

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福本朱理(あかりん):

東京農業大学 21歳
e-Educationネパールフィールドワークでネパールに初めて渡航
1年間e-Education国内インターンとして活動
現在はIncentive Group of Company農業担当としてインターン

わたしたちの紹介 - ネパールインターン生の奮闘記

 

ネパールに来てから7ヶ月ほど経ち、日本に帰ります!

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本文

 

ナマステ!あかりんです。

タイトルにある通り日本に帰ることにしました。

 

帰ると言っても一時帰国です。

 

めでたく兄が結婚することになり(∩´∀`)∩ワーイ

結婚式に出席することが一番の目的ではあるのですが、

せっかく日本に帰るこの機会に
一時帰国報告会を開催することにしました。

 

約半年が経ち、
新しく自分の挑戦もはじめ、
一つの節目を過ぎた今、

思うこと。

伝えたいこと。

ネパールのリアル。

海外でインターンするとは。

などなど、
アットホームな雰囲気でお話できたらと思います。

 

詳細は以下のとおりです。

農大生を対象に考えているので

農大生以外の方はとても参加しにくい
場所と時間ですが 

もしご参加いただける方がいらっしゃいましたら
ブログのトップページ【お問い合わせ】
よりご連絡ください。

 

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ネパールで人生初の剣道した

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福本朱理(あかりん):

東京農業大学 21歳
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本文

 ナマステ。あかりんです。

先日人生ではじめての体験をしてきました。

 

それが・・・

剣道。

 

・・・ネパールで?

と思いますよね。

そうなんです。

日本の伝統的スポーツをネパールで初めてやるという
よくわからない感じ。

 

大学の先輩から
剣道を教えているネパール人を紹介していただき、

カトマンズ市内にあるこちらの道場にお邪魔しました。

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到着してびっくり!
建物がきれいすぎる!!!大きすぎる!

 


正面についている国旗はネパールと日本の国旗です。
緑青出てきてバングラデッシュの国旗みたいですが、
日本です笑

 

( ↓ちなみにこれがバングラデッシュの国旗)

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この道場は、

長野県松本市からの支援で建てられたそう。

 

松本市カトマンズ市が平成元年に姉妹都市協定を結んで以来、
親善試合や記念試合などが行われ、
松本市からは防具や備品が提供されているそうです。 

 

ちなみに2015年のネパール大震災のときには

カトマンズ市内の警察署が崩れてしまったため、
この建物をオフィスとして使用していたそう。

 

他の建物に比べても丈夫なんですね。

 

中に入ってみると・・・

本当にきれいで広い道場。

この日いたのは20人くらいでした。

 

半年くらい前に始めた小学生が
キャッキャしています。

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日本の道場の厳粛な雰囲気とは少し違うかも。笑

 

打ち合いが始まると
本格的にやってます。

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「なんで剣道始めたの?」

と聞くと

 

「新しいスポーツだから!」

だそう。

 

「柔道や空手はもうみんなやっているから新しいものやりたかった!」

のだと。

 

たしかに後ろの畳エリアで練習していた柔道の集団は
人数が倍くらいはいました。

 

柔道ができる道場はネパール国内にいくつもありますが、
剣道はここだけです。

 

柔道は必要な道具が少ないことに加え、
オリンピック種目であることも
海外での波及と深く関わっているようです。

 

 

 

私もウォーミングアップや基礎練習に参加させてもらいました。

初心者の子たちに足に運び教えてもらって
久しぶりに運動していい汗かきました。

 

掛け声は基本的に
「いち、に、さん、し」
と日本語なので
やっぱり親近感がわきますね。

 

 

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剣道のはじめのはじめを
ほんのちょっとかじっただけですが

改めてスポーツっていいなと。

背筋がシャキッと伸びる
日本の武道っていいなと思いました。

 

思いがけないお誘いから
ネパールで剣道に出会うことができて
嬉しかったです!
ありがとうございました!

 

・・・ちなみに

私、高校時代弓道部だったので

 ネパールに弓道ないのかな〜
と調べてみたけれど、

弓道は見つかりませんでした。。。

 

もし知っている方いたらぜひ教えてください!!

 

 

お肉を食べるということ

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福本朱理(あかりん):

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みなさんお肉好きですか?

 焼き肉、ハンバーク、肉じゃが。

美味しいですよね。そんなお肉について考えてみました。

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本文

ナマステ!あかりんです。

お肉について。

 

ネパールでよく食べられお肉は、

鶏、水牛、ヤギの3種類。

 

 

宗教上の理由から牛は食べません。

 

牛はダメなのに水牛は良いの?と思った方!

同感です!!

 

でもネパール人的には別物らしい。

・・・は〜ん (・o・)

 

村にいるヤギも

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鶏も

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 お肉を食べるために育てられ

 

 

ダルバートのおかずになります。

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カトマンズのお肉屋さんには
既にさばかれたお肉が並び、

お店の外には明日
さばかれるヤギがつながれています。

 

 日本だとお肉を見るのは
スーパーに並んでいる状態ですよね。

皮もついていないし、

骨もないし、

料理しやすいサイズに切り分けられていたりする。

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ネパールも日本も
どちらも人が食べるお肉。

 

でもお肉を食べることの意識ってすごく差がある気がする。

 

日本は食材としてのお肉。

ネパールは動物の身としてのお肉。

 

ぶたのお肉で例えると

ピッグなのか。

ポークなのか。

 

鶏の屠殺やヤギの屠殺って結構ショッキングなんですよね。

動物を殺すことをしたい人ってあまりいないと思う。

実際ネパールでは動物を殺してお金をもらうことは汚らわしいと考えられ、

 ネパールで革製品を営むのは一番カーストの低い民族でした。
(現在はカースト制は事実上廃止されています。)

 

だからベジタリアンがいい!

という話ではなくて、

日本ではあまりにも

お肉を食べるには動物を殺しているという事実が

見えなくて、

世界的に見てもベジタリアンという文化が浸透していないことと

相関関係がある気がする。

 

屠殺現場ではたらく人の多くが外国人労働者ということも

どこか臭いものに蓋をしている気がして。

 

ネパールに長期滞在する日本人で
屠殺現場を見てからベジタリアンになったという方も結構らっしゃいます。

 

私自身
お肉にはとっても感謝するようになったし、
レストランでもベジのメニューを選ぶことが増えました。

(ベジメニューの方が安いという理由もだいぶありますが。)

 

「ぶたをクラスで飼って最後にみんなで食べる」
ような映画もありましたが、

お肉について日本でも

もうちょっと考える機会があったらな〜と

もやもや思っているわけです。

 

 

 

「やめたい。でも・・・」の壁

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福本朱理(あかりん):

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本文

ナマステ!直射日光で焦げそうなあかりんです。

 

ネパールに来てもうすぐ半年。

振り返ってみると、
ネパールに始めてきたのは
大学1年生の春休み。

 

帰国してすぐ、
ネパールに1年いく! 
と決めていました。

 

そんなときにぶつかった壁が、
やることが多くて時間がない!!!

 

農大の海外移住研究部
e-Educationの国内インターン
お金を貯めるためにアルバイト。
ネパール料理屋さんお手伝い。
大学の授業。

 

これらのことを全て続けると物理的に時間が足りなかった。

 

で思いました。
何かやめないといけない。

 

でも

やめるのが怖い。

 

今思えば、この記事にある通り、

note.mu

 それまでの人生において辞める練習が足りていなかった。

 

やめたいけど

人間関係とかあるし・・・

辞めた後のことがしっかり決まっているわけでもないし・・・

一度始めたことだし・・・

 

「 一度始めたことは辞めない。」

「プロジェクトの継続性。」

「一生マブダチ〜。」

 

小さい頃から続ける選択は
自分でしていたのに、

 

辞めることはなにかの都合で
仕方なくしていた。

引っ越すから習い事をやめなくてはいけない。

受験勉強が始まるからやめなくてはいけない。

 

 私は続けたいんだけどね・・・を常に匂わせていました。

 

ネパールに行くという選択をして
結局辞めたのは農大の海外移住研究部

大学生活の多くを占めていたし
とても居心地が良かったし
楽しかったし
部活の友人も大好きだった。(今も!!)

 

でも・・・

ネパールに行くためにやりたいことがうまくいかないとき、
部言い訳する材料になっていた。

 

自分の中で一番大きかった部活を辞めるという選択、
あれから1年以上経って思うことは

 

あのときの辞めるという決断ができないようでは
ネパールに来てもしょうがなかった。

ということ。

 

辞めることでかけた迷惑があったから

辞める後ろめたさがあったから

辞める恐怖があったから

どうしても失いたくない関係性があったから

 

自分の意志を相手に伝える努力をした。

伝える努力を最後までしても分かってもらえなければ

嫌われてもいいと腹をくくった。

 

 

この経験は本当に大きかったな〜と今も思うのです。

(と、いいながらとてもビビっていたので、だいぶ背中を押してもらっていました。)

そしてこの決断を認めてくれた
部活のメンバーに今もとても感謝しています。

 

 

何かを粘り強く続けることと同じくらい、
辞めることで発生する責任をちゃんと負う経験って
大事。

 

上にも貼りましたがこの記事をぜひ読んでほしい。

note.mu

 

ネパール渡航日記 -村でホームステイ-

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舛田菜緒(なお):広島大学法学部4年生 23歳         
1年間ネパールでインターンをしていた。
帰国後もネパールに関わる活動を続けている。

わたしたちの紹介 - ネパールインターン生の奮闘記

ナマステ!

ネパール渡航日記、しばらく更新できませんでした。

というのも村でホームステイしていたからです!

(ネットは不安定だけどつながるけど、PCを持って行ってなかった...)

今回ホームステイしたのは、以前インタビューもさせていただいた
Minaさんのふるさとラムチェ村です。

Minaさんのインタービュー記事はこちら。

everestbiu.hatenablog.com

 

のどかな雰囲気でゆったり。

ラムチェ村では、あいにくの天気が続いたけど
Minaさんのおうちから見る景色は最高〜。

 

虹もきれいに観えました!!

 

村のお葬式

偶然にも私が行ったときは、お葬式をしていました。

『見に行っても大丈夫だよ〜』

と言われ、ついて行くと

日本のものとは全く異なるお葬式。


▲この広場にひとが集まります

 

あつまってご飯を食べたり、お話をしたり。

お通夜ではラマ僧がお経を唱える間、
賑やかな音楽が奏でられます。

お葬式ではラマ僧による踊りが印象的でした。

タマン族(タマンの中でもいろいろあるのですが細かくはわからない)のお葬式は、

賑やかにすることでなくなった方が安心して旅立てるようにしているのかな、というのが私の解釈です。

 

冠婚葬祭には、その国や地域の文化が色濃く表れますよね。

 

また村にいきたい!!

カトマンズの都会の喧騒を忘れるくらい
ゆったりとした時間が村にはあります。

正直便利さはないけど、村の方が好きです!笑

また行きたいな〜。

次回はタマン語を少し勉強してから行こ!

 

ダルバートピクニック感想と反省とこれからと。

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福本朱理(あかりん):

東京農業大学 21歳
e-Educationネパールフィールドワークでネパールに初めて渡航
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現在はIncentive Group of Company農業担当としてインターン

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ダルバートピクニックvol.1が無事終わりました!!!(^○^)ワーイ

熱がリアルな温度のうちに感想と反省を書き留めます!

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本文

ナマステ!爽快感に溢れているあかりんです!

と、いうのも、
昨日一つのイベントが終わりました!

 

それが

ダルバートピクニック!

カトマンズの子どもたちを村に連れて行って
みんなでダルバート(ネパールの主食)を一緒に作って食べよう!」

という企画です!

 

この企画のコンセプトは

「料理でGIVEの心を伝える」

 

もともと私自身料理が好きで、
(↓料理が好きという想いはこの記事に綴ってあります。)
everestbiu.hatenablog.com

 

誰かのことを想って作る料理がすごく好きで。

料理の周りにあふれる笑顔がすごく好きで。

そして何より私が子供たちと一緒に料理したい〜!

みんなで作って食べる料理って美味しい!

ということから生まれた企画です!

前日まではドッキドキでした。

2週間ほど前にSANSKARというカトマンズの学校に話を持っていき、
前日まで色々な準備をしていたわけですが、
その間、不安が尽きることはなく。。。

 

週に1日しかない休日だから
みんなゆっくりしたいんじゃないかな?

何人集まってくれるのかな?

楽しんでくれるかな?

怪我しないかな?

ハチに刺されないかな?

(↓この企画の準備中に私がハチに刺された話はこちらから)

everestbiu.hatenablog.com

とかとか。

 

そんなことを考えながら、
お米10キロ、豆2キロ、野菜大量を買い込み、
スケジュール表作って前日準備は完了。

楽しみもありながら不安もいっぱいでした!

 

不安が吹っ飛ぶ子どもたちのパワー!

当日私も同じバスで行く予定だったので学校につくと、

20人の子どもたちが集まってくれました。
もうこれだけで一安心。(3人くらいだったら前日に買い込んだ野菜どうしようかと本気で心配していた)

 村までバスがたどり着いて一安心。(対向車来たらだいぶ引き返さないと道だった)

 

そして村についた瞬間から子どもたちの元気さに圧倒!

 

料理が始まるとみんな試行錯誤しながらも
協力してダルバートを作りました!

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今回は5.6.7年生を対象にしたので年齢がバラバラ。

 

3つのグループに分けて料理していたんですが、

上級生のとか料理をしなれている子が下級生に教える姿が見えたり、

7年生の女の子たちが自分たちで配膳作業をしていたり。

自然に自分の持ち場を見つけて動いている!

しかも楽しそう!

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昼食後の苗植えでは

近くのお花も添えてアレンジして、

ニコニコとみせてくれる!

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 想定した以上のこと。

その発想私にはなかった!
と子どもたちに教えてもらうことがたくさんありました。

 

※当日の様子については動画でまとめます。 

課題とこれから

楽しくできた!
という一面もあり、課題も見えてきました。

 

1つ目 お金に関して

今回の必要経費は自己負担しました。

まだこのプログラムの価値を
人に伝えてお金をいただくほど
自分で整理できていなかったから。

トライアルとしても一度やってみることが一番でしたが、

これ以降は、

・子どもたちに与えられる価値は?

・運営する側のメリットは?

・このプログラムを発信することでより多くの人に裨益させることはできないか?

などをもう少し深めたい。

お金をいただくことも一つの価値基準として設定しようと思います。

 

2つ目 子どもたちとのコミュニケーション

私の子どもたちに対するコミュニケーションとり方で
もっと伝えられること変わったかな。と思いました。

 少し話しただけでも

「休みの日はいつも姉妹二人でテレビ見ている」

「野菜は全部嫌い」

「好きな食べ物はローストチキン」 

ここは本当にネパールか??
と、耳を疑うこともあって
もっと聞いてみたい!
きっとまだ見えていない問題がコミュニケーションによって見えてくるんではないか。
と思いました。

全体を仕切る立場上、子どもたちとあまり話せなかったので、

任せるところは他の運営陣に任せる。

ここでは子どもたちと一緒にやる。

という境目をしっかりつくりたいです。

 

3つ目 誰とやるのか

今回企画のパートナーとして一緒にやってくれたのは、ミナちゃん。
一緒にやってくれたのがミナちゃんじゃなかったら
この当日のドタバタは収集つかなかっただろう思います。

事前にコンセプトや私の想いをとても理解してくれた。
しかも日本語が喋れる。

これは正直私がだいぶ楽をしてますね。

この点は自分自身の成長のために挑戦しようと思います。

 

自信になった

本当にたくさんの人の理解と大きなサポートがあったから実現したこの企画。

だいぶ荒削りで、いくらでも改善の余地がある状態。

でもたくさんの課題は今回実行したからこそわかったこと。

60%でもやることに意義があると肌で感じまいた。

 

そして何より私の自信になりました。

私が好きなことだから。

私がやりたいから。

この想いでやって良いんだと。

 そしてそれが終わった今、

「音楽×ダルバートピクニック」

「スポーツ×ダルバートピクニック」

もう次のやりたいことに溢れています。

感謝 

ミナちゃんをはじめとする銀杏旅館の皆様、皆様の手厚いサポートなくして今回のこの企画は実現できませんでした。
生徒への呼びかけバスの手配など、この企画を学校のものと受け入れてくださったビマラ先生はじめSanskar English schoolの先生方、
素敵な写真と動画をたくさん撮ってくれたe-Educationの源ちゃん。

本当にたくさんのサポートをありがとうございました。

そして現在、源ちゃんが撮影してくれた動画をもとに
ダルバートピクニックダイジェストムービーを作成中です!


Everest biuのfacebookページで近日中に公開しますので
ぜひ見てください!

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 楽しかったなぁ〜〜

 

 

 

【インタビュー】Mina Lamaさん 〜村のお母さんからネパールを変える〜

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 女性起業家としていくつもの活動を手がけるミナさん。

のどかなラムチェ村に生まれ、女性だからこそできる挑戦で確かにネパールという国を変えつつあるミナさん。活動に対する想いや原体験を伺いました。

この記事を書いた人

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福本朱理(あかりん):

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Mina Lama(ミナ ラマ)さんプロフィール 

カトマンズから約4時間のラムチェ村に生まれる。村の課題を解決するため女性自立支援プログラム、パンチャカンネ(ネパール語で5人の女の子を意味する)を実施。ラムチェ村での成功を皮切りにネパールで注目され、ネパールの多くの地域で女性自立支援活動の指導に携わる。女性自立支援奨励賞事業受賞。現在は2015年のネパール大地震によって生きる目標を失った女性に雇用を生み出すためのフェルト工場を経営。Shine 日本語学校共同経営。銀杏旅館経営。

男の子に生まれたら良かったのに

ナマステ!
まずはミナさんの幼少期について教えてください。

5人兄弟の一番上に生まれた私は小さい頃は弟や妹の世話ばかりしていました。 そのせいで学校に行くのもまわりの友達よりも遅かったです。

学校に初めて行ったのは弟が学校に通う年になった時でした。
両親は、私が学校に行くためではなく、弟を学校に連れて行くために私も学校に行かせるという考え方でした。

学校に行くことは重要でないと考えられていたんですか?

ネパールの村では、「男の子は自分たち家族を支えていく存在になるから仕事をもらえるように学校に行ったほうがいい。
でも女の子はどうせお嫁に行くから家の仕事ができれば勉強しなくてもいい」という考え方が多かったです。

ミナさんも女の子だから教育を受ける必要はないと?

母からはそう言われましたが、「お嫁に言った先の将来がどうなるのかも分からないのに、今は家の手伝いをしているだけで本当に良いのか」といつも不安でした。

なんで女の子に生まれたんだろう。私も男の子に生まれたら良かったのに。と、何度も思いました。

家族に反対されても学校に行っていたんですか?

毎日行けたわけではないですが、学校の先生は勉強しなさいと言っていたし必要なことだと思っていたのでなるべく通学していました。

でも実はこの時期が一番つらくて、「学校に行くから家の手伝いをしないんだ」とお母さんに怒られるので 朝3時におきて、やるべき仕事はすべて学校に行く前までに終わらせていました。朝まだ暗いなか、川底の土砂を拾ってかごに集めて村まで背負って運んでは少しのお金にしていました。

本当にこの時は精神的にも体力的にも毎日大変でした。この経験はどれだけ話してもきっと伝わらないと思います。

お母さんから村を変える。

家族に理解してもらえないというのは相当つらかったですよね。

昔は「なんでわかってくれないんだろう」と何度も思いました。でも今ならその人達の気持ちがわかります。

人は経験したことからしか人に教えることができないからお母さんもどうして良いのかわからなかったんだと思いますね。

ミナさんの考えを理解してくれなかった「お母さん」という存在。それでもお母さんをに対する自立支援の活動をしたのはどうしてですか?

自分が学校の先生とお母さんの考え方に挟まれて悩んでいるときに、やっぱり大事なのはお母さんだと思ったんです。

子供にとって一番長い時間一緒にいるのはお母さんだし、毎日食べるご飯を作ってくれるのもお母さんです。いくら学校の先生が味方でも、「お手伝いしないから今日のご飯は無し」ってお母さんに言われてしまったら、子供はどうすることもできないんです。

だから村の問題を解決したいと思ったときにお母さんが変わる必要があると思いました。

学校の先生とともに

ミナさん自身の経験が原点になっているんですね。活動を始める時は大変でしたか?

私はその当時15歳でした。ひとりで村のお母さんに話に行きましたが誰もきいてくれませんでした。
逆に「この子はおかしなことをしている」と言われてしまいました。

どうしたらいいかわからなくなって学校の先生に相談したら「あなたはいいことをしているから協力する」と言ってくれました。

学校の先生が協力してくれたんですね。

学校が休みの日に先生が村を回ってお母さんたちを大きな木の下に集めてくださいました。

自己紹介から始まって、「今まで言っていないけれど困っていることを話しましょう。」「みんなで共有して助け合って解決する方法を探しましょう」と私が呼びかけました。

そうすると、今まで家族だけで抱えて解決できなかった問題が、村の人みんなで協力して解決に向かうようになりました。

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村を変えるからネパールを変えるへ。

このラムチェ村での活動が成功したと感じられたのはどんなときですか。

先生が3回ほど来てくれたら私だけでも村の人が集まってくれるようになりました。
さらにこの活動が浸透してくると、「私がみんなを集めるよ」と言ってくれるお母さんたちが現れて、私がいなくても集会を開いて村の問題を解決するようになったんです。

このことが村を越えて県の人たちに広まり、県からお金をいただけたり、他の地域でも実践したいというお話をいただけたときには嬉しかったし、うまくいったなと思いました。

 挑戦はいつも不安。だからこそ。

多くの人のためにやることは多くの人を巻き込むことになると思いますが、不安やプレッシャーはないですか?

プロジェクトが軌道に乗るまではいつもドキドキして不安はいっぱいあります。
自分のためではなく、一緒にやる他の人のためと考えているのでプレッシャーも大きいです。

一緒にやる人の気持ちを理解しようと努めても、うまくいかなくて途中でやめてしまう人もいます。信頼関係が出来上がるまでは毎回苦労していますね。

これだけたくさんのことを挑戦しているミナさんでも不安はあるんですね。

毎回大変なことはたくさんあって諦めたいときもあるけれど、簡単に成功することなんて一つもないと私は自分の経験から思っています。

だからこそ、これから挑戦する人たちがいたら、私にできることならなんでも協力したいと思っています。

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最後にこれからミナさんのように挑戦しようと思う人にメッセージをお願いします。

今はネパールでも多くの人が教育を受けられるようになってきました。

大きくなったら海外に出稼ぎに行ってお金を稼いでくる人もたくさんいます。でもその中から自分の生まれた地域のことや家族のことに目を向ける人がもっといたら良いなと思います。

出稼ぎでお金を稼いで今の生活を楽にすることはできるけれど、もっと先の未来を良くしたいと思う人が増えたら嬉しいですね。

ミナさんのこれからの活躍を願っています。
ミナさんのお話を聞いてとても勇気と刺激をいただきました。
インタビューに答えてくださりありがとうございました。

編集後記

このインタビューにあたってミナさんの村に訪問させていただきました。

印象的だったのはやはり、お母さんたちの覇気。どの村でもお母さんは誰よりも早く起きて、とても働き者ですが、ラムチェ村のお母さんたちの生き生きとした表情、きちんと手入れされた村の様子はミナさんの女性自立支援プログラムの結果ではないかと感じました。

何度も自分の生き方に悩んだというミナさん。
いくつものプロジェクトを成功させ、確かにネパールという国を変えていながらも、
「新しいことを始めるのは不安はある」という素直な言葉に勇気ももらいました。

これからもネパールの女性リーダーとしての活躍を楽しみにしています。

ありがとうございました!